華麗なる一族が作ったドゥカティ
ドゥカティ一族は古代ローマ帝国までさかのぼることの出来る名家で、イタリア、ボローニャを拠点に医学、技術、など素晴らしい人材を輩出しています。
アントニオ・カヴァリエーリ・ドゥカティは、1880年くらいから、水力学、鉄道学という発明家、技術者として向上経営を行っていた方です。
アントニオさんの息子、アドリアーノ・カヴァリエーリ・ドゥカティは、特に電機について深い関心を持ち、1924年、アメリカとの交信に成功、無線通信、放送事業などについて将来性があるとし、1925年兄弟と共にソチェタ・シェンティーフィカ・ラディオ・ドゥカティを設立しました。
巨大な工場をボローニャとミラノに腱津市、1939年には従業員7000人という大きな企業へ成長、今でも振りイタリア電気製品に赤いドゥカティのマークを見るというくらいです。
電球製造工場はフィリップスより招かれ、技術協力を提携、ドゥカティの後押しもあってこの工場は世界大手電気メーカーに成長していくことになります。
ラジオのほかにも、電子シェーバー、レンズやめがね、双眼鏡、オーディオアンプ、自転車などの幅広い製品を販売したのです。
しかし第二次世界大戦で甚大な被害を受けて、産業復興公社の支援を受けることになります。
当時トリノにあったシアタという企業は原付自転車クッチェロを販売し売れに売れていました。
エンジンのOEM生産先を探していたことを産業復興公社の方が知りドゥカティを紹介、ここで1947年、ドゥカティが販売権を獲得します。
カメラ製造などで会社が持ち直し田頃から、1953年創立からの分野である通信機器部門、オートバイ部門に会社を分割したのです。
ドゥカティのレース参戦とオートバイ製品について
初期段階からレース活動を行ってきたドゥカティは、そのデータを活かしレース用のバイクのほか、公道用氏反射の開発に活かすということを行ってきました。
こうしたレースデータのフィードバックについてはほかのメーカーも行っていますが、ドゥカティほど、公道用市販車とレース用バイクが密接ということは珍しいことです。
様々なレースでよい成績を出し、有名なライダーも増えていきました。
2012年、ドイツ自動車メーカーとして有名なアウディがドゥカティを参加に持っている印ベストインダストリアル・ホールディングスから株式を取得、同社を買収し、同時にフォルクスワーゲングループの傘下となっています。
様々な商品を作っているメーカーとして、古くから創業されているドゥカティは、この先も、更に新しいバイクを作っていくと思われます。
ドゥカティ独特のデザインがこれから先、更に先進的なバイクとして世界に広がっていくのではないかと感じます。